2006年11月15日(Wed) 美容外科医がスポーツで思うこと (その②)-熱闘甲子園ー

この数ヶ月、連日連夜の手術で記事入力がすっかり遅れてしまいました。しかし手術でどんなに日々多忙でも、私は毎年「夏の高校野球」だけは関心が薄らいだことはありません。私だけではなく、野球をあまり知らない方々でも、高校野球・甲子園は多かれ少なかれ興味をお持ちでしょう。その「熱闘甲子園」の魅力と、美容外科医が患者に導いてあげなければならない真の手術目的とは、実はとても強い共通項があるのです。

なぜ、人々は「熱闘甲子園」に関心を寄せるのでしょうか。地元、出身校、知人などの関係因子から現地甲子園球場で応援する方も当然いるでしょうけれど、試合出場校の地域性、チームや選手等に対して何も関係を持たない全国大勢の人々(私も含めて)が、息を呑んで各試合の動向をラジオやTVで見守るのです。答えはズバリ、「感動するから」であります。

では、なぜ高校野球は感動するのでしょうか。高校球児は、プロ野球選手と違ってまだ技や力が未熟だけれど、また大人と比べ心身がまだ成熟していないけれど、彼らの一つ一つの、明日をも考えず必死にプレーする様がとても美しいから というのが大きな理由の一つでしょう。しかし、私は断言します。最大の理由は「人が予期出来る範囲の、いわゆる‘ながれ’と言われる-運命的に定められたかのようなムード-展開から全く外れた、それを度外視したことが生じるからだ!」と。

今年の熱闘甲子園も、「多くの人が予期予感して先に断を下した展開‘ながれ’どおり」には進まない、それを全く無視した典型的な試合がありました。決勝の早実 vs 駒大苫小牧戦?? いえいえ、準々決勝の智弁和歌山 vs 帝京戦 です。試合当初から両チーム打撃戦で始まりましたが、終盤は智弁が圧倒的なリードをとり勝利が確定的でした。しかし最終回表に何と帝京が大逆転し、かつトドメと言える大きな点差をつけてしまいました。土壇場で記録的な大どんでん返し、大量点リードをしたわけです。いわゆる‘ながれ’(私の嫌いな言葉ですが)は完全に帝京のものとなりました。智弁は「万事休す」と誰もが思ったことでしょう。ところがしかし、しかし智弁は、その最終回裏に諦めることなく大量ビハインドを見事に跳ね返し、結局再逆転サヨナラ勝ちを収めたのです。

誰がこのような試合展開、人々がよくおっしゃる‘ながれ’の推移を予測出来たでしょうか。否です。そもそも‘ながれ’とは何でしょうか。良い‘ながれ’というのもあるでしょう。しかし私は、どうもこの言葉には、人をして弱気にさせ、諦め妥協させ、抗うことの出来そうでない運命的なものを抱かせる、 negative な響きがあると感じて好きになれません。そもそも‘ながれ’というものは、無駄と思えるような努力をすることは無意味だと考える人間が、勝手に作り上げた‘都合のよい言い訳’ではないでしょうか。「悪い‘ながれ’だからもうだめだ」、というのが運命であるならば、智弁和歌山の大再逆転勝利も無かったでしょうし、人生に感動や楽しさ、幸せというものも生まれない、と言う事です。

美容外科に来られる患者さん達は、幸せになりたい、より美しくなり、より若くなり、今の人生を好転させたいと願う方々です。「ながれ」という言葉を使うなら、今のマイナスのながれを積極的に打破してなんとか幸せになりたい、と思って下さっているわけです。老化現象 (aging) は、嫌だけれど誰にでも降り掛かる‘ながれ’だからといって簡単に諦めるのでしょうか。生まれながらにして、綺麗な・スタイルのよい方は「良い‘ながれ’」を、不幸にしてそうでない方は「悪い‘ながれ’」を、それぞれ初めから有しているからといって、後者が、前者と比べより制限的な人生をずっと送らねばならぬのでしょうか。遺伝的、先天的に外見・体質にハンディがあるからといって仕方の無い人生を過ごさねばならぬのでしょうか。

一般に整容的に問題となる症状を、メス裁きで修正する・治すのが、言うまでも無く美容外科医の仕事です。上述した不快、不満足な運命的・‘ながれ’的な現象を、その治療を受けることで改善、打倒したいと患者さん達は願って来院されるのです。幸せに向かって積極的に努力なさっているのですから、手術を施すこちら側も、体を張って全力投球でバックアップしなければなりません。患者さんの外見だけを整えて、「はい、任務終了」というレベルでは留まらないのです。美容外科手術の真の本当の目的、最終目標は、これまで自分に対して宜しくなかった‘ながれ’というものに抗い、あるいはそれを無視し、自分の人生の可能性を少しでも広げたいと念ずる患者さんに、手術手段の結果をもって感動して頂き、人生上の最終的勝利に導くことであろう と私は痛切に思うのであります。